テレビはエンターテイメントか?白痴の箱か?
最近よく「テレビがつまらなくなった」だとか「テレビをみない人が増えた」という話題を聞くようになったね。
特に地上波、いわゆる民放のお笑いやバラエティで活躍されている人々が番組の中や時にSNSで声高に叫んでいるようで、おもしろいのは「人はテレビをみるもんだ」という前提で話しているんだよね。
人はテレビをみるもんだ。それが最近みなくなった。
っていう話の流れ。
これは当たり前の話で、昔はYoutubeもニコ動もなければ、スカパー、WOWOWといった専門チャンネル、オンデマンド配信なんかもなかったんで、競合相手がいなかっただけ。
ネットも含めたチャンネル数が増えたら、そりゃ興味は分散されるし、専門チャンネルのほうが自分の好きな分野を深くやってるからそっちの方がいいよね。
ぼくもあまりテレビをみる方じゃないけど、これはみると決めている好きな番組だけ録画してみている感じだ。
若者がみない?
そういう話の中では特に若い人がみなくなったということなんだけど、うちの中1の娘がみているテレビ番組というと、
- 自分の好きな「嵐」が出ている歌・バラエティ番組
- 志村けんが好きなので彼が出ている番組
- 関西人の教科書、吉本新喜劇
- 朝につけているニュース
くらいだろう。
特筆すべきは最も世代の差が出ると思われたお笑いに関して、なんだかんだ言って吉本新喜劇と志村けんという親の世代と同じものを、うちの娘に限ってかもしれないが選んでいるということだ。
昔は
ぼくに関していえば子供~思春期時代の関西お笑いの教科書といえばダウンタウン率いる若手芸人中心で製作された「4時ですよーだ」だ。
「4時になったらミナミから人が消える」と言われたほど10代~20代の間ではダウンダウンは時代の寵児、カリスマとなっていた。
そしてザ・ドリフターズが毎週生放送でコントをやっていた圧倒的なライブ感を誇る「8時だよ!全員集合」
ビートたけし、明石家さんま、島田紳助といった稀代の才能が集結していた「オレたちひょうきん族」は親に反対されながらみていたものだ。
今このような求心力をもったバラエティ番組があるかどうかは知らない。
志村けんがうちの娘のような世代にも通用するということは、お笑い、バラエティに関していうと面白い人は昔から、そして今もいるが、それ以上に面白くない人が増えて、濃度が薄まってしまったのだ。
自主規制
制作側の自主規制もよく話題になってるね。規制のかかりすぎたメディアや芸術媒体など、なにひとつ面白くない存在なので、この点に関してはインターネットを媒体としたメディアにはもはや太刀打ち出来ない。
こういった規制に関する現象はなにもテレビに限った話ではないし、音楽や書籍であればインディーズや自費出版、電子書籍等いくらでも自由に表現する方法はある。
なのでテレビの自主規制云々や業界上層部の及び腰をツイッターやSNSで嘆いたりするヒマがあるなら、そんな既得権益にまみれた組織の外で表現することを考えたらどうなんだと思う。
それができないなら、いくらツイッターで熱いことを語ろうが叫ぼうが、結局自分たちもそこでご飯を食べさせてもらってるという、既得権益を失いたくないんだなと思われても仕方がないよね。
みる方もすぐ文句を言うな
すぐテレビ局にクレームや番組スポンサーに直接クレーム言う視聴者が増えているという。
バカかよっぽどのヒマ人じゃなかろうかと思う。文句をいうくらいなら、みなければよいのだ。
結論
って言うほどのことじゃないんだけど、「趣味はテレビ鑑賞です!」っていう人は今も昔もほとんどいないってところで、テレビは生活の中のちょっとした暇つぶしであったり、数ある情報ツールの中の1つでしかない。
ゴミみたいな情報が溢れている点ではネットの方が数万倍上だし、テレビが有害だとか有益だとかいう議論をすることなど時間の無駄だろう。
1つ言えることは、デフォルトで人はテレビを見る生き物ではないし、たとえ見る人が減ったからといって大騒ぎするほどのことでもないということだ。
ただ松本人志が10年近く前にやっていた「働くおっさん劇場」のような番組がまたあればぼくは見たいと思うだろう。
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