桃太郎が鬼ヶ島から財宝を持ち帰った後の話は、日本の童話として不適切極まりないゆえ、あまり語られてこなかった。
日本人ならだれでも知っているおとぎ話、桃太郎。
子供のいない二人暮らしの老夫婦に赤子が授かり、その子供が大きくなって鬼を退治し、宝を持ち帰るという冒険譚である。
物語は育て親のもとに宝を持ち帰ったところで、めでたしめでたしと突然のエンディングとなるが、今日はその後のお話も含め、改めて桃太郎のお話を語ってみたい。
桃の拾得〜誕生
物語は古来より使われ続けている常套句で幕を開ける。
某所に老夫婦が住んでいた、というあれだ。
詳細な居住地や老夫婦の氏名は伏せてあり、個人は特定できないように配慮されている。
一般的には岡山県がゆかりの地として有名であるが、確たる根拠はないようで、他にも香川県、愛知県、奈良県など全国にゆかりの地が点在するようだ。
黍(キビ)団子と岡山の吉備団子の関連も後付けである。
この老夫婦はほぼ毎日同じルーチンワークをこなしていたようである。
夫であるおじいさんの仕事は山へ芝刈りへ行くということらしい。
その仕事がどのように収入に結びつくのか、これも詳細は省かれてあるのでキャッシュフローは不明だが、とにかくこれで家計を支えていたようだ。
一方、夫人であるおばあさんは川へ洗濯へ行き、いわゆる一般的な家事をこなしているようである。
まだまだ電動の洗濯機や水道などない時代であり、洗濯桶に川の水をためて洗うより他なかった。
洗濯一つ取っても大変な仕事である。
そして、事件は夫人の方で起こる。
なんと川の上流から大きな桃が流れてきたという。
川に浮くくらいの浮力が発生していることを考えると、結構な体積の桃であったはずだ。
おばあさんと呼ばれる年齢の女性ひとりで、この巨大桃を川から引き上げたのは驚嘆に値する。
まあ兎に角おばあさんは、おじいさんと一緒に食べたいという一心で桃を獲得し、洗濯桶に入れて持ち帰ったのだ。
ちなみに桃は古来より不老不死の象徴であり、その桃を食べた老夫婦は若返り、子供を作ったという話もある。
桃の中から子供が出てくるという天変地異よりは自然な流れで、桃である必然性もハッキリするので、ぼくはこちらのストーリーを支持したい。
いくら子供が欲しかったとはいえ、桃から子供が出てくるなどという事実をあっさり受け入れるとは思えないのである。
そしてこの子供は桃キッカケで生まれたということから、桃太郎という安直極まりない名を授かり、若返った夫婦の元ですくすくと育つのだった。
成長〜旅立ち
桃太郎は大きく、強く、そして心も優しく育ったという。
15歳、昔でいうと立派に成人(元服)するころになると、日本国内で桃太郎に敵うやつはいないと言われるほど強くなっていたという。
つまり15歳で日本一の看板を背負っていたことになる。
いや、ちょっと待て。
夫婦の暮らしぶりや絵本等の描写から察すると、彼らが暮らしていたのは人口の多い都や城下町などではなく、どえらい田舎だったと推察する。
そこで腕試しといっても、せいぜい範囲は周辺の2〜3の村程度での話だろう。
それで腕っぷし日本一を名乗りあげるのは少々思い上がってはないだろうか?
桃太郎はひょっとしたら「桃太郎って井の中の蛙じゃね?」的陰口を村人が囁いているのをどこかで耳にしてしまったのかもしれない。
日本一の看板を証明せねばならぬ
そこで桃太郎は鬼ヶ島の話を聞くと、居ても立ってもいられず、鬼征伐へ出たいという旨をおじいさんに願い出た。
おじいさんはあっさり快諾し、おばあさんはおばあさんで、「おなかが減るだろう」と呑気にお弁当を作ってやるという。
大事に育てた息子が凶暴な鬼と戦いに行くというのにだ。
勝算はあるのか?
鬼は一体何匹いるのか?
鬼ヶ島まで往復どれくらいかかるものなのか?
話によると何年もかかる遠方だというではないか。
まるで情報がないのに、この夫婦は大事な一人息子が危険極まりない旅に出るのを許可してしまった。
そしてその危機管理意識ゼロの夫婦が弁当としてこしらえたのが、かの有名なキビダンゴである。
そのキビダンゴを携え、刀、鎧に身を固めた桃太郎は日本一の旗の元、鬼ヶ島目指して旅立ってしまったのだ。
もう、後には引けないのである。
仲間との出会い
良き冒険譚に良き仲間はつきものである。
ひとりぼっちの冒険はつまらないし、話に厚みも出ない。
状況的に考えても多数の鬼が住んでいるであろう鬼ヶ島に、単身乗り込むのは狂気の沙汰と言える。
いくら日本一(仮)の桃太郎といえど、心の何処かで不安であったに違いない。
桃太郎はまず犬に出会う。
犬に「桃太郎さん、桃太郎さん・・・」と呼び止められるのだが、その辺の野良犬にまで桃太郎の名前が通っているのは驚きである。
そして桃太郎は旅の行き先と目的を犬に告げ、キビダンゴ1個で買収することに成功する。
次に出会うのは猿である。
猿も犬同様にキビダンゴ1個で買収されてしまう。
この時、桃太郎はこのキビダンゴを日本一のキビダンゴだと全く根拠のない売り文句でもって買収している。
団子作りの専門家でも和菓子職人でもなんでもない一般家庭の夫婦が作ったものをである。
現在であれば誇大広告、ともすれば詐欺として訴えられる可能性もあるのだが、相手は畜生であるし、仲間に引き入れるための苦肉の策であったのかもしれない。
この案件さえ決まれば、今月のノルマが達成する・・・そんな営業マンにも似た気持ちで、素人の作ったキビダンゴを日本一と詐称してしまったのかもしれないが、許してあげよう。
誰が何と言おうと、桃太郎にとっては親に作ってもらったキビダンゴが日本一なのである。
そして最後に出会う仲間がキジだ。
宙を飛べるという最も役に立つ能力を有した最強の仲間である。
にも関わらずキジに与えられたのもキビダンゴ1個。
能力による給与の差はないようだ。
さて、ここで読者は物語最大の疑問に直面する。
犬猿の仲であるはずの犬と猿が、自称日本一のキビダンゴ1個などという薄給で仲間になり、さらに危険な鬼が島にお供するなどありえない。
そう、キジはさておきこの2匹は共演NGのはずである。
この疑問の答えは
「風水の見えざる神力が働いていた。」
としか言いようがない。
まず鬼は風水上では北東の鬼門からやって来ると考えられている。
北東、つまり十二支の方位で表すと丑と寅である。
故に鬼は牛のようなツノを頭に持ち、虎の毛皮を愛用しているのである。
そしてこの鬼門(北東)に対峙する裏鬼門の方位に目をやると、申(サル)、酉(トリ)、戌(イヌ)がいる。
真正面でいうと未(ヒツジ)でも良さそうだが、最も戦いに向いてなさそうな動物なので、面接するまでもなく不採用。
個人的感情は抜きにして、風水的に猿と犬は仲間にならざるを得なかったというわけだ。
干支の順でも間に酉が入っているように、旅の道中もキジが二人の仲を取り持つ役をしていたことは想像に難くない。
鬼ヶ島へ
こうして桃園の契りで結ばれた桃太郎一行は、地図もナビも何もない状態で突き進み、海へとぶち当たる。
都合よく海岸に船が一艘繋いであったらしいが、これを誰に許可を取ることなく無断使用してしまう。
無断使用というかこれはもう立派な窃盗であり犯罪である。
日本一の旗を持ち、鬼ヶ島の鬼たちを退治するという大義名分の元では多少周りの犠牲はやむを得ない・・・
そんな慢心に似た気持ちが桃太郎になかったか?
いや、全くなかったとは言い切れまい。
一行は盗んだ船で海上を走り出し、犬が漕ぎ、猿が舵取り、キジが上空から行く先を監視した。
桃太郎が聞いた話によると鬼ヶ島までは何年も何年もかかるはずであった。
しかし風水パワーかどうかはわからないが、驚異的な早さで鬼が島に到着してしまう。
いざ決戦
鬼たちは島に城を築いていたようで、門前には守衛と思しき鬼も配備されている。
しかしこちらにはキジがいるので、上空から城内の構造や様子は丸見えである。
桃太郎は鬼ヶ島に上陸すると、犬と猿を従え真正面から攻め入ろうとする。
作戦らしきものは皆無、あまりに無謀といってよい攻め方だ。
ただの馬鹿なのか、仮にも日本一を背負うだけあって相当の自信があったのか、キジの偵察による報告も待たずに殴り込みをかけた。
犬と猿にしたら、
「え!?マジかこいつ」
と思ったに違いないが、なにぶん雇われの身であるので主人のやることには逆らえない、あとは全力を尽くすのみである。
ところがその無策の策が功を奏したのか、守衛の鬼は桃太郎たちの姿を見ただけで震えあがってしまう。
まさか鬼たちもこんな堂々と正面から攻め込まれるとは夢にも思っていなかったであろう。
よほど強力な兵器を携えているに違いない、と思ったかもしれない。
また日本の犬や猿を初めて目にし、なにやら得体のしれない怪物のように映ったのかもしれない。
守衛がパニックを起こして内側から門を必死で押さえているその隙をつき、キジが上空から先制の目つぶし攻撃。
陸の敵に気を取られているところを、空からの奇襲。
結果的には良い攻め方で主導権を握った桃太郎たちは、機動力の高い猿が城壁をよじ登り、門を内側から開門した。
あとはもうひるんだ鬼たちを一網打尽である。
しかしこの鬼ヶ島に住む鬼たちは少々だらしがないのではないか。
キジに目をつつかれた、犬にかまれた、猿にひっかかれたと言っておいおい泣き出しては、金棒も放り出して逃げ惑うばかりである。
最終的に桃太郎VS鬼の大将の決戦でもって、敗北を認めた鬼の大将が、降伏条件としてお宝を全部差し出すということで戦いは幕を閉じた。
鬼退治の考察
見事鬼を成敗した桃太郎一行は、あふれんばかりの財宝と共に凱旋を果たす。
さて、この鬼退治は桃太郎にとって有意義な旅であったのだろうか?
鬼を退治した証拠として財宝も持ち帰ったので、その噂は瞬く間に全国に轟いたことであろう。
そして名実ともに日本一を名乗ることができたはずである。
しかし、その決戦の内容と鬼たちの戦闘能力を知っている読者にしたら、日本一を証明する腕試しとしては役不足の感は否めない。
また鬼ヶ島に生息する鬼たちが、成敗されなければいけないほど凶悪な生物であったとも考えにくい。
この点に関しては読者は異論を唱えるであろう。
「ではなぜ鬼たちが人間の作り出した財宝を所有していたのだ?」と
やはり凶暴な鬼たちは日本へ乗り込んできて財宝を奪っていったのではないか?
ぼくにはそうは思えない。
物見遊山で日本に遊びに来た鬼たちを見たらぼくたちはどう思うか?
鬼たちのあの容貌である。
全身赤や青、黄といった原色で、頭にはツノ、トラ皮の衣服、手には金棒(イギリス紳士における傘のような携帯品だったのかもしれない)巨躯でもってのっしのっしと町や村を集団で闊歩されてはたまらない。
「お願いします、お宝はなんでも差し上げますので、どうかご無体はおやめください。」
鬼はただ日本見物していただけなのに、なにやら歓迎を受けてプレゼントもくれるという。
なにぶん言葉での意思疎通ができないゆえ、お互いに誤解したまま、鬼たちは日本の人たちを
「なんていい人たちだろう」
日本の人たちは、
「やはり鬼は怖い。お宝も奪われてしまった。」
このような顛末があったに違いない。
そこへ得体のしれない妖怪を3匹連れた桃太郎の奇襲にあい、もらったプレゼントを泣く泣く差し出したというわけである。
財宝の分配
基本的に持ち帰った財宝は元の持ち主にすべて返却して然るべきである。
そもそも旅の目的は純粋な腕試しであったのだから、財宝などは二の次であったはずだ。
しかし財宝の所有者の内訳など正確にわかるはずもなく、返却作業だけでも大変な労力になる。
帰りの船の中で財宝の処理を考えていた桃太郎、
「やっぱり元の持ち主に返却すべきだよな、鬼を成敗したのだから多少はご褒美として受け取っても罰は当たらないだろうけど。所有者を特定するのも大変な作業だし・・・」
3匹の仲間たちもそれぞれ財宝に考えを巡らせていた。
犬「なんといってもオレは一番弟子だし、鬼どもへの攻撃もオレの牙が一番効いていたはずだ。船を早く到着させたのも漕ぎ手のオレだし、猿やキジに比べてたんまりもらえるだろう。」
猿「オレがいなければ城の門を開けることはできなかった。その功績は一番評価されてもおかしくないだろう。」
キジ「私の先導がなければ、そもそも鬼ヶ島に到着できていたかどうかも怪しい。上空からの奇襲がなければあんな無謀な作戦も成功するはずがないじゃないか。それに道中の犬と猿を取り持つので精神的にもかなりの負担だった。」
それぞれ自分の功績がいかに他より優れ、自分の分け前が仲間の中では一番だと考えていた。
彼らは畜生ゆえ、お宝そのものに興味はないが、それと引き換えに得られる食物が莫大なものであることは理解していた。
財宝を前にした夫婦も、目の色が変わってしまった。
爺「ほお、これはすごい!これでもう田舎の貧乏芝刈り暮らしとはお別れじゃな。桃太郎はまだ子供じゃし、財産の管理は家長であるわしがする。この財産を手にし、若返った今のわしなら都で一旗あげられるし、側室も・・・」
婆「なんとまあ、素晴らしい財宝だこと!これも元はといえば私が川で桃を拾ってきたおかげ。若くて財産もある私なら都でお偉い方の目に留まって・・・」
そんな育ての親の醜い思惑を感じ取った桃太郎は、家出を決意する。
その時、同じく欲をむき出しにしていた3匹の家来も連れて行かなかったという。
その後桃太郎は単身都に出て、財産を元に剣術道場を開いたとも、また鬼ヶ島へ戻って王として君臨したとも噂されたが、本当の行方は誰も知らない。
最後に
馬鹿なことをしたものである。
財宝など持ち帰らなけらばこのような醜い顛末にはならなかったはずである。
純粋に当初の目的通り、腕試しに鬼を成敗したということで満足すればよかったのだ。
さて、日本一の桃太郎には他のおとぎ話に比べ、とても多くの寓意が含まれているのがお分かりいただけたと思う。
最後にそのいくつかを挙げてこのおとぎ話異聞を終わりにしよう。
- 拾ったものをむやみに持ち帰ってはいけない。
- 人間関係無理なものは無理、チーム編成は能力でなく相性で考えよう。
- 地道な暮らしが一番。
- 目的はブレてはいけない。
- 根拠のない自信も大切。
- あれこれ策を練るよりまず行動。
- 人を見た目で判断してはいけない。
参考文献:桃太郎 楠山正雄