日本語のロックや日本語のラップに対して厳しい人がいるという話。
確かに言葉がもともと持っているリズムとかサウンドっていうのは各国語ごとに全然違うわけで、英語で歌うのと日本語で歌うのとではワインと日本酒ぐらい違うものなんだろう。
これ食べ物で考えると、カレーやラーメン、スパゲティなんてもともと外国のものを日本に持ってきて、日本人の口と食習慣に合うようにして日本バージョンを作ったものは結構あるよね。
それに対して「あんなドロドロの日本のカレーなんて邪道で、カレーではない」とか「ナポリタンなんてイタリアのナポリにはない」なんていうヤツはいないし、いてもただのヘンコ野郎で相手にされないし、たいがいはみんなジャパナイズされた洋食を美味しく頂いているわけです。
それがなぜか西洋音楽の日本語化に対してはすんごく厳しい人がいるんですよね。
それはもう70年代に勃発した日本語ロック論争だとかあるくらいで、しかもその論争はほとんど日本人だけでやってるもんだから、結論なんて出ない。
熱くなってるのはだいたい英語しか認めません側の人たちなんだけど、いまいち何を主張して最終的にどうしたいのかもよくわからなかったりするし、それこそロックやヒップホップといった音楽が持つ自由な精神から逸脱しているじゃないか。
ヒップホップの初期衝動
一番言葉の影響をダイレクトに受けてると思われるのがラップなんだけど、これは確かに聴いていて恥ずかしくなるようなのもあるけど、もちろんカッコイイのもある。
それは日本語だろうが英語だろうが同じことで、僕らは日本語が一番ダイレクトにわかって、カッコよさもカッコ悪さも、すみずみまで理解できてしまうというだけの話だ。
日本にヒップホップを持ち込んだいとうせいこう氏のラップなんて、変に英語に寄せるようなこともなく、抜群にカッコイイじゃあないか!
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まあとにかく「〜は認めない」なんて了見の狭いこと言ってるより、音楽はなんでも自由に楽しめばいいじゃないかというのが一番平和な結論だな(笑)
最後にちゃぶ台をひっくり返すこと言うようだけど、おとなり韓国のK-POPは韓国語バージョンしか認めません。だってK-POPの日本語バージョンはもはやJ-POPですから・・・(泣)
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